『老い、病み、死する』 こればっかりは誰にも代わってもらえんわね

 どんなに可愛い、また小さな子供でも、その子に与えられたものはある。
その子に責任をとってもらい、その子が背負わなければならないものがある。
例え親でも大人でも、その事で代わる事は出来ないのである。「老い、病み、死する」 の問題は、その人自身に与えられた天からの贈り物、誰も代わる事の出来ないもの、 また、逃げる事も出来ないもの。それを目前に据えて、見つめて、自分が対応し、自分が 受けとめ、自分の心を変えて、自分が変っていくしかない。享受するしかない。
 例えどんなに、乾布まさつして、風邪一つひかない人間でも大病になる。交通事故も 起こる。そこに神仏の大儀があり、仏教の教えがある。
 世界を変えるのではなく、人を変えるのではなく、大自然や天候を変えるのではなく、 自分が変わるのである。何でこんな顔に生んだといっても、神仏がくれたものだから納得 せざるを得ない。医者か他人が作ったのであれば、文句も言えるが、作った責任は神仏にあっても、それをどう受け取るかは自分にあるのである。
 最近は、日本でも脳死が認められ、臓器移植の問題が大きくクローズアップされているが 小さな科学・医学を楯に、医者や科学者が、自分で責任をとらなければいけないような神仏 の分野まで犯さない事である。
それは、神仏への冒涜である。全世界の全人類の全宇宙の責任をとれるのは、神仏のみある。「あなたを産んだは、仏心ぞ」
生まれるも、生きるも、死ぬも、全て仏心なんよ。